おこめのねどこ

こめが寝る前や起きた後のちょっとした時間に書く記録や意見や日記です。

教員の多忙について現在思うこと

下記の記事を読んでの感想。リンク先は後編だが、前編の内容も含む。

「私、子どもを保育園に12時間以上預けている…」なぜ教育業界の“ブラック化”は止まらないのか | 文春オンライン

 

学校における働き方については多数の文献、論文、記事がある。Twitterなどでも日々苦境が伝えられている。様々な運動も行われている。だから私のこの記事も、その中の、特に目立たないものの一つである。端的に言えば自分のメモである。

 

私が注目したいのは、やはり「働き方改革」という言い方である。労働時間や賃金の問題であるから、きっと「労働問題」等と表現した方が適切なのだろうと思う。「働き方」というのは働き手(労働者)が主語になる言葉であって、全体のシステムや体制に問題のある現在の問題をきちんと言い表していないと感じる。記事で言えば、後編に登場する女性が正規の教員を辞して非常勤になったことが、個人の「働き方改革」なのだろう。もう少し俯瞰的な視点から見れば、学校の労働問題が解決しないために、熱心で経験もある教員が一人減ってしまった、ということになる。現在どうにかしなければいけないのは本来ここなのだろうと思う。

 

これを外してしまうと、その後の解決方法も歪んでいってしまうと感じる。例えば、部活指導である。私の経験では、中高のどちらも部活指導が熱心でない学校だったため、別に生徒主体でもやりたいことはやれると思っているが、部活動を通して生徒指導をしたいという先生は決して少なくない。しかし現在の「働き方改革」では、部活動を外部講師にお願いするという提案がなされている。部活動をしたい先生からしたら、改革した結果、やりたいことをやれなくなるということになる。やりがいを奪われた先生はどうなるのだろう。この提案は、中央教育審議会答申からのものである。当然、現場の声に耳を傾けながら作っているはずで、この方向を良いと感じる先生方も多いはずだ。しかし結果的に、先生たちを「どう働かせるか」という考え方になっているために、現場には必ずしも受け入れられないのではないかと感じる。

 

そのように考えた場合、結論的には、現場の先生方の選択肢が増えるような改革が重要だと思う。部活指導をしたい先生の時間が確保され、したくない先生の自由も確保されること。また家庭の事情が考慮され、時短勤務やオンライン会議などの柔軟な働き方が保証されること。校務分掌が偏らず、また負担をかけすぎず、教材研究など本来の中心的な業務に集中できること、等。となると、現場のより一層の工夫は必要だとしても、どうしても財政支出しかないじゃないかと思う。先生を増やす、そのことで先生たちの負担が軽くなり、これまでのブラックな働き方は求められなくなる。そうして教員志望者が回復してくる、という流れにならないものだろうか。

 

予算は消費税増税で確保できていないのだろうかなぁ。今はここまで。